top of page

​沿革

1953年 文学部考古学研究室附属の先史学会が改組され、当研究会の母胎となる酒詰仲男教授を顧問とする先史学研究会が発足。

1959年 『先史学研究』第1号が刊行される。

1960年 先史学研究会が改称し、考古学研究会が発足。

1961年 1月に『同志社考古』第1号が刊行される。また、同年5月より、西山古墳群の保存運動が行われる。

1962年 考古学研究会初の独自の活動として、丹後木津地域での分布調査が開始される。以降、丹後地域が当研究会の主な活動フィールドとなる。

1965年 酒詰教授が逝去。

1966年 『同志社考古』第6号が「酒詰先生追悼号」として刊行され、先史学研究会との二枚看板的なサークル形態から訣別、考古研としての主体性が確立される。

1969~70年 学生運動期により、実質的な研究会活動が一時的に停止する。

1973年 これまでのサークル運動の総括と丹後地域における調査活動の集大成として『同志社考古』第10号が刊行される。

1974年 全国的な学生運動の退潮の中、丹後野田川流域の調査活動が本格化する。

1978年 加悦町作山古墳群の実測調査が開始され、以降1982年度まで継続して行われる。

長きに渡る活動の停滞が続く。

2003年 6月、中断して久しかった『同志社考古』第11号が、前号からおよそ30年振りに刊行。また、同年旧学生会館が解体され、現在のBOXに移る。

2006年 『同志社考古』第12号が刊行される。

2014年 『同志社考古』第13号が刊行される。その中で、1962年以来継続して調査を行ってきた丹後地域からフィールドを移すことが宣言され、以降京都市西京区西芳寺川古墳群とその周辺遺跡が主な調査対象となる。

2017年 『同志社考古』第14号が刊行され、西芳寺川B古墳群の測量調査結果が報告される。

現在に至る。

(『同志社考古』12号より)

bottom of page